空白の6年7ヶ月。【その2】
2020年秋から1年間をかけて、速さを取り戻していく計画。まずはシングルフィニッシュ目標から。
2020年最終戦。エンジンが遅すぎて勝負にならない。現状打開のため、中古エンジンの購入など、多方に可能性を模索する。新しい19年式エンジンを買えば速さは確実に手に入るが、参戦は約1年だけのつもりだったので、長期的な投資は避けたい意志&24万(当時)は予算がオーバーし過ぎる為、断念。
2021年1月、友人T所有の17年式チャンピオンエンジン獲得へ動く。まずはレンタルさせてもらう事に成功。追々、手に入れられるように我慢強く営業。
エンジン、いざ借りる時になって、バッテリーとチャンバーを紛失したらしく、結局自分で調達するというロス。そして、エンジンどうこうよりも、そもそもフレームが整備不良。キングピン曲がってるし、シートステー折れてるし。これが適当にやってきた空白期間の代償か。
キチンと直してシェイクダウン。これは速い。これならイケるかも、と思ってたらいきなり焼けてフルOH、11万コース。おかしなキズ。
なんかこれ、まぁまぁ費用掛かってるな。新品買った方が良かったかも。レースでも無用なメカトラブルが出るなど、バイオリズムは下降気味だったが、根気強く取り組みを続ける。
そんな矢先の9月。コロナでダウン。見事に筋肉は削げ落ちたが、ウェイトが理想的になる。
最終戦直前の練習日、体型の似たドライバーYに乗ってもらって、フィーリングを聞くと新鮮なアドバイス。早速取り入れてみる。
ペースが明らかに変わった。2021年11月。レース前日から好調。ようやく戦えるようになった。運も味方した。本当に丸々1年掛かった。両親にも見てもらえた。自分の集大成と言っていいレースだった。
2022年3月にエンジン獲得。開幕戦に出るつもりは無かったが、友人Yの熱い誘いに乗って開幕戦にエントリー。まだまだ好調を維持出来たがそろそろ限界を感じ始める。
2022年第2戦。エンジンの美味しいところを使い切ったみたいで調子が悪い。そもそもレース参戦は去年までのつもりだったので、ピストン交換は先送り。ピストンリング交換だけでレース出場。調子はイマイチ出ず。
それは突然にやってきた。9月のレース前日練習で負傷。
空白の6年7ヶ月。【その1】
このブログが中断する前に最後に書いた記事の日付が2016年11月26日。そこからこのブログが奇跡の復活を遂げるまでに約6年と7ヶ月。1人の人間が小学校を卒業してしまうほどの長い期間、一体私は何をやっていたのだろうか。このブログはカートレースに特化した内容にしていきたいと思っているので、カートレースに関する内容について振り返っていきたいと思います。
とは言ったものの、正直、カートレースに関しては、全然真面目にやってませんでしたね。記事にするレベルでも無い内容。だから振り返ると言っても2017年から2020年ぐらいまでは、全く印象にも残っていませんね。
ただ、2020年からは少し取り組み方を変えて、きちんと活動してきた自負はあるので、次の記事から少しずつ振り返っていきたいと思います。
何年も前に起きた悲劇から学んだ事。【その3】
(前の記事から)
つまらない失敗談はこれぐらいにして、ここからは前向きな記事。
失ったデータの中で悔しかったのが、学生時代から記録を残してきた、自分が出場したレーシングカートのレース結果をまとめたデータベース。それと、学生時代からHDDが倒れるまでの思い出の写真データ。
前の記事にも書きましたが、とにかくいろいろな方法を考えて、写真やリザルトをかき集めました。とても良い経験になりましたね。まぁ、やれば出来るもんだなって思いました。
これからやるべき事は、とにかく同じ過ちは3度と繰り返さない事。2度目でもう十分凝りましたからね。それから、しっかりと使うべきところには投資する事。
自分が成長して、満足出来て、こんな風に考える事が出来るようになったなら、代償としては高くは無いかなって。まぁ安くも無いけど。
片付けはもうすぐ終わります。ここまでの数年間を見つめ直して、さらに上のレベルを目指して、再スタートしていこう。
何年も前に起きた悲劇から学んだ事。【その2】
(前の記事から)
認識しなくなったHDDを業者に復旧依頼した私。以前、データ取り出しに成功した経験からか、依頼してしばらくはそれほど絶望感はありませんでした。
しかし、実際に作業結果を突き付けられるとまさに絶望。文字通り、望みを絶たれてガックリうなだれるしかありませんでした。
業者からは、さらに高度な復旧作業(高額)を提案されましたが、当時、カートとオタクのやり過ぎで非常に貧乏だった私には、高度な作業を依頼出来る社会的威力(貯金)も無く、泣く泣く諦める他、選択肢がありませんでした。
諦めの付かなかった私は、「いつの日か、以前は出来なかった高度な復旧作業(高額)を依頼出来る社会的威力(貯金)を持てるようになった時に、もう一度」と、送り返されてきた荷姿のまま大切にHDDを保管する事にしました。
そして、今年初旬。時は熟した。
その時に出来なかった作業内容を業者に伝え、出来る事を全てやってもらうように依頼したのです。
「これでダメなら諦める」
そう心に決めつつ、ダメでも仕方ない。それも人生さ、って。やる事はやったんだから、どーんと構えて行こうぜ、って。
結果は残念な形に終わりましたが、一旦気持ちに区切りが付いて、肩の荷が降りてスッキリした気分になりました。また前向きに進んで行こうって。
そうしている間にも、データ保管媒体をHDDからSSDに移行したり、可能な限りブログやSNSから記憶や記事を引っ張りだして、写真を保存したり、いろいろ考えて取り組んだから今がある。
「何年も前に起きた悲劇から学んだ事。」
失敗を活かして、以前よりも自分らしく生きられている。支払った代償の分だけ自分が成長できた。高い勉強代だったな、なんて思えるようになった。それで今は満足している。
何年も前に起きた悲劇から学んだ事。【その1】
もう何年前になるでしょうか。まだ私が某アパートに住んでいた時期。カートとオタクのやり過ぎで非常に貧乏だった私は、なけなしの貯金でcore i3のBTOパソコンを買い、外付けのHDDにデータ保管をしていました。
そんな正月休みのある日。出掛ける金も無く、文字通り寝正月を過ごそうと部屋でゴロゴロして、まぁ寒いしエアコンでも付けるかと起き上がろうとした瞬間、足に何かがあたり「ぱたん」と音を立てて倒れたのです。
「まさか」
寒いのに冷や汗が顔中の毛穴から湧き出てきます。半ば諦めつつ、意を決して、何かが倒れた方向に視線を向けます。すると、
「やはりか」
縦置きで設置していた外付けのHDDが、90度向きを変えて横たわっていたのでした。
これが何を意味するかが分かる方は、ひょっとして経験者だったりするでしょうか。
「頼む、動いてくれ」
と心の中で復活の呪文を唱えながらPCの電源を入れ、USBスロットにケーブルを挿し、マイコンピュータを開いて、外付けHDDが認識されるのを待ちました。しかし、私の願いに反して、幾ら待っても、ケーブルを挿し直しても、PCを再起動しても、HDDが認識される事はありませんでした。
「1回だけでいいんだ」
「中身だけでも取らせてくれ」
「もう2度と同じ過ちは繰り返さないから」
その日はとにかく全ての事を放り投げて、HDDの復旧やデータ取り出しについて調べまくりました。
実は以前も一度、同じ過ちを犯してしまった事がありました(あるんかい)。だからデータ復旧業者の存在は知っており、また実際にその時はデータの取り出しに成功した経験がありましたので、今回も自然とそちらに依頼する方向で進める事にしたんです。
近況。
実はカート熱が不意に上がって来ています。昨年9月に鈴鹿で事故をして、今年の3月にレインボーでようやくコースに出ました。
それから4月に鈴鹿、5月に見当山、6月は瑞浪と、1ヶ月に1回のペースでカートに乗ってます。
レインボーと鈴鹿はPRD、最近は見当山と瑞浪でダイレクトのKTで遊んでました。しかし、これがなかなか楽しくて、すっかりハマってしまいそうなんです。
KTはさすがに数年間、エンジンもキャブもしまいっ放しだったし、MAX RPMも今ひとつなんだけど、まぁそれなりには走れちゃってて、キチンとエンジンもキャブもメンテナンスすれば、もうちょいタイムも上がってくるでしょう、って気もしてます。
だからまずはキャブをOHしてもらって、もう一度瑞浪で走ってみたいなと考えています。😶🌫️
こっそり。
しばらくぶりです。
はるか昔に、ヤフーのブログサービスが終了するに伴って、なんとか形だけでも残しておこうとはてなブログに引き継ぎ設定して、今こうしてタイムカプセル的な役割を果たしているこのブログ。
TwitterやFacebook、Instagramなどの便利さと拡散力に押されて、私のいろいろな活動の発信ツールもそちらに移行していきました。しかし今こうしてまた記事を書こうと思い立っている。ひょっとすると、一周まわって再びこのブログ媒体が活用される日も近いかも?
ブログの良いところは、SNSの投稿と違って、挿し絵感覚で文章の合間にピンポイントで写真を挟めるし、自分が書きたい事をより明確に表現することが出来る。
また、こんにち普及し過ぎたSNSほどの拡散力が無いから、言わば「隠れ家」的な使い方が出来る。「ブログ」は「ウエブログ」を略した単語だし、要は「ログ」を残すと。日記的な意味合いが強いですかね。
今週末は土曜日が梅雨空だし、出掛けられないだろうから、まずは最近の近況でも記事にしてみましょうかね。気が向いたら。