何年も前に起きた悲劇から学んだ事。【その2】
(前の記事から)
認識しなくなったHDDを業者に復旧依頼した私。以前、データ取り出しに成功した経験からか、依頼してしばらくはそれほど絶望感はありませんでした。
しかし、実際に作業結果を突き付けられるとまさに絶望。文字通り、望みを絶たれてガックリうなだれるしかありませんでした。
業者からは、さらに高度な復旧作業(高額)を提案されましたが、当時、カートとオタクのやり過ぎで非常に貧乏だった私には、高度な作業を依頼出来る社会的威力(貯金)も無く、泣く泣く諦める他、選択肢がありませんでした。
諦めの付かなかった私は、「いつの日か、以前は出来なかった高度な復旧作業(高額)を依頼出来る社会的威力(貯金)を持てるようになった時に、もう一度」と、送り返されてきた荷姿のまま大切にHDDを保管する事にしました。
そして、今年初旬。時は熟した。
その時に出来なかった作業内容を業者に伝え、出来る事を全てやってもらうように依頼したのです。
「これでダメなら諦める」
そう心に決めつつ、ダメでも仕方ない。それも人生さ、って。やる事はやったんだから、どーんと構えて行こうぜ、って。
結果は残念な形に終わりましたが、一旦気持ちに区切りが付いて、肩の荷が降りてスッキリした気分になりました。また前向きに進んで行こうって。
そうしている間にも、データ保管媒体をHDDからSSDに移行したり、可能な限りブログやSNSから記憶や記事を引っ張りだして、写真を保存したり、いろいろ考えて取り組んだから今がある。
「何年も前に起きた悲劇から学んだ事。」
失敗を活かして、以前よりも自分らしく生きられている。支払った代償の分だけ自分が成長できた。高い勉強代だったな、なんて思えるようになった。それで今は満足している。